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水戸地方裁判所 昭和40年(ワ)4号 判決

原告 杉本信

右訴訟代理人弁護士 倉本英雄

同 入倉卓志

被告 茨城県

右代表者知事 岩上二郎

右訴訟代理人弁護士 松野貞夫

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、当事者双方の求める裁判

原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し、金一二五萬円およびこれに対する昭和四〇年一月二九日より支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、被告訴訟代理人は、主文第一、二項同旨の判決を求めた。

第二、当事者双方の主張

一、原告訴訟代理人は、請求の原因として次のとおり陳述した。

(一)  原告は茨城県水戸市所在の昭和道路工業株式会社の従業員として同社の道路工事作業に従事していたものであるが、昭和三五年一一月ころから水戸市河和田町および見川町付近で発生した連続放火事件の容疑者として、昭和三六年七月一六日午前五時ころ、居宅で就寝中、水戸警察署(以下水戸署という)勤務の市毛俊二警部補、加藤明巡査等数名の警察官によって逮捕された。

(二)  右の市毛、加藤両警察官は、同日水戸署調べ室において、まず逮捕状記載の同年六月一一日に発生した同市河和田町八七番地小泉勝之進方トタン葺物置小屋放火未遂事件について原告を追求し、原告がこれを否認すると、こもごも「やったと言わないならお袋を縛ってやる。」とか「兄(当時同県石岡警察署勤務の警察官をしていた義兄のこと)まで新聞に大きく書いてやる。」と言って原告を脅迫したうえ、原告の頭部を上から強く押えつけて、机に原告の額を打ちつけようとしたので、原告が打ちつけられまいとして首筋に力をいれて耐えたところ、次にはこもごも空手チョップまたは手拳で原告の首筋を七、八回強打したため、原告は意識を失って昏倒した。

(三)  原告は意識回復後は頭痛激しく、食事も喉を通らず、同年七月一七日原告の身柄が水戸署から水戸地方検察庁(以下水戸地検という)に送致されたときは、わずか数百米の距離しかないのに歩行することができず、タクシーで送られ、水戸地方裁判所における勾留質問後水戸地検から水戸署に戻るときもタクシーで帰ってきたほどで、その後の取調べのための水戸地検への押送は往復ともほとんどタクシーを利用しなければならないほど頭痛と頸部運動制限が続いた。

(四)  原告は、同年八月四日放火事件により同裁判所に公訴を提起され、身柄を水戸拘置支所に移監されたが、その後も前記の頭痛、頸部運動制限の症状が続いたうえ、腹痛をも伴って危篤状態となった結果、同年一一月四日執行停止となって釈放され、直ちに同市の杉山病院に入院し、同病院医師杉山清から脳脊髄膜炎の診断のものに治療を受け、腹痛だけは一応治まったので、同月二八日勾留執行停止期間満了とともに一たん退院収監されたものの、その後も頭痛、頸部運動制限の症状が一層強くなったため、同年一二月一九日再び勾留執行停止となって右杉山病院に入院し、脳脊髄膜炎後遺症の診断を受けた。

(五)  その後も前記症状は一向に回復しなかったので、原告は、昭和三七年三月一三日東京大学医学部附属病院脳神経外科で診断を受けたところ、頭蓋底陥入症ということであり、そのころ保釈許可を得て、爾来右附属病院脳神経外科に通院、加療を受けた。

(六)  前記杉山医師より診断を受けた脳脊髄膜炎は、前記両警察官の暴行が原因または誘因となっておきたものであり、原告の前記頭痛、頸部運動制限の症状は、右暴行が原因であることは明らかであるところ、右の所為は公共団体である被告茨城県の公権力の行使に当る公務員がその職務を行うについて、共同して故意に原告に対して加えた違法行為であるから、これにより原告が受けた損害については国家賠償法により被告が賠償の責に任ずべきである。

(七)  しかして、原告は右違法行為により、治療費、入院費、交通費等金二五萬円の出費を余儀なくされて同額の損害を蒙り、また前記のような状況を勘案すると、原告の蒙った精神的、肉体的苦痛を慰藉するには金一〇〇萬円が相当である。

(八)  よって、原告は被告に対し、合計金一二五萬円およびこれに対する訴状送達の翌日である昭和四〇年一月二九日より完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二、被告訴訟代理人は、答弁として次のとおり陳述した。

(一)  請求原因第(一)項の事実中、原告がその主張の日時ころ、その主張の放火事件の容疑者として水戸署員により逮捕されたことは認めるが、逮捕した警察官の中に加藤明巡査がいたとの事実は否認する。逮捕に赴いたのは市毛俊二警部補のほかには諸沢文雄、森下淳の両警察官である。

(二)  同第(二)項の事実中、市毛警部補がその主張の放火未遂事件について原告を取調べたことは認めるが、その余の事実は否認する。

加藤巡査は当日公休で出勤しておらず、当日の取調べには全く関係していないし、市毛警部補の取調べも、当日は原告のいうままに逮捕状記載の事実につき否認調書を作成したにとどまり、それ以上に追求的取調べは行っていないから、原告がこれに対し頑強に否認するような事態はなかったのである。

(三)  同第(三)項の事実中、その主張の日に水戸署と水戸地検および水戸地方裁判所間を往復したことは認めるが、その余の事実は否認する。

(四)  同第(四)項の事実中、その主張の日に放火事件について第一回の公訴を提起されたことは認めるが、水戸拘置支所に身柄が移監された日は同年九月二〇日である。その余の事実は不知。

(五)  同第(五)項の事実は不知。

(六)  同第(六)、第(七)項の主張はいずれも争う。

第三、証拠関係≪省略≫

理由

一、原告が、昭和三五年一一月ころから水戸市河和田町および同市見川町付近で発生した連続放火事件の容疑者として、昭和三六年七月一六日午前五時ころ、水戸署員によって逮捕され、同日同署の調べ室において、逮捕状記載の小泉勝之進方物置小屋放火未遂被疑事件につき取り調べを受け、同年八月四日水戸地方裁判所に第一回目の公訴を提起され、その後身柄が同署から水戸拘置支所へ移監されたことは当事者間に争いがない。

二、原告は、市毛俊二警部補および加藤明巡査の両名からその主張のような暴行を受けたことにより脳脊髄膜炎に罹患した旨主張するので、右暴行の存否についての判断に入るに先きだち、まず、原告が自覚症状を訴えるに至ってからの経過について一応検討を加えるに、≪証拠省略≫を総合すると、

(一)  原告は、同年九月二〇日水戸拘置支所に移監された後、同年一一月初めころ、頭痛と腹痛を訴えはじめ、同拘置所嘱託医磯部保医師の診察を受けて急性虫垂炎と診断され、同月四日勾留を停止されて同市内の杉山病院に入院し、同病院の杉山清医師の診察を受けたが、当時頭痛、吐気、腹筋緊張、項部強直の諸症状を呈し、脊髄液検査の結果双球菌が検出されたので、急性脳脊髄膜炎と診断され、同日より同月一二日まで連日髄腔内にペニシリン等の抗生物質を注入する治療を受け、いったん右の諸症状が消散したので、同月二八日勾留執行停止期間の満了とともに収監されたこと。

(二)  その後間もなく、再び頭痛、腰痛、吐気等を訴えはじめ、同拘置支所内において前記磯部医師よりアスピリン、クロマイ等の投薬を受けたが、一向に快癒しなかったため、同年一二月一九日再度勾留執行停止決定を得て前記杉山病院に再入院した。このときは双球菌は発見されなかったが、頭痛を訴え、軽度の項部強直がありかつ脊髄圧が高かったため急性脳脊髄膜炎胎後症(後遺症)との一応の診断のもとに前同様の抗生物質の注入療法を受けたが、依然右の頭痛、項部強直の症状は消失せずに持続したこと。

(三)  昭和三七年三月三日水戸赤十字病院において植村孝秀医師の診察を受けたところ、神経学的には頸椎に変化はないが、上腕神経叢の根部に圧痛があり、首の動きが多少制限されているとして、頸腕症候群と診断されたこと。

(四)  同月一三日東京大学附属病院脳神経外科に転医し、同科の喜多村孝一医師の診察を受けたが、その際原告は、昭和三六年七月に首の後を強く押えつけられる乱暴を受けて以来首が痛く、動きにくくなり、肩がはる旨を訴えたので、レントゲン検査をしたところ、発育畸型による軽度の頭蓋底陥入が認められるとして、外傷性大後頭孔症兼軽度頭蓋底陥入症と診断され、以後同病院において昭和三八年四月ころまでそれに対処する治療を受けたこと。

(五)  原告に対する非現住建造物放火未遂被告事件の控訴審において鑑定人として右喜多村医師が昭和三八年九月一一日付で鑑定書を作成した時点においても頸部運動制限、頸部痛、右後頭神経圧痛等の自覚症状は持続していたが、同審鑑定人工藤達之医師が昭和三九年六月一〇日付で鑑定書を作成した当時においては、もはや原告の頭部、頸部には特段の故障は存在しなかったこと。

以上の各事実を肯認することができ、右認定を左右するに足る証拠はない。

ところで、右の経過中、≪証拠省略≫によれば、(一)記載の磯部医師の虫垂炎の診断が誤りであったことは明白であり、また、≪証拠省略≫によれば、(三)記載の植村医師の頸腕症候群の診断は単に原告の主訴する頸部の運動制限や頸部痛をそのまま包括的な病名にあてはめたに過ぎないことが認められるから、確たるものとはいいえず、≪証拠省略≫によれば、レントゲンの断層撮影の結果、(四)記載の喜多村医師の頭蓋底陥入症の診断もやはり否定すべきものであるから(なお昭和三六年七月に暴行を受けて以来頸部運動制限等の症状が続いている旨の同医師に対する原告の主訴が信用できないものであることは後述のとおり)、結局≪証拠省略≫により認められるところの昭和三六年一一月四日の杉山医師の診断時に原告の脊髄液中に双球菌が発見され、細菌性(化膿性)脳脊髄膜炎に罹患していて、原告が頭痛、項部強直を訴えていたことおよび右脳脊髄膜炎自体は程なく治癒したにもかかわらず、その後も長期間にわたって頸部運動制限、頸部痛、右後頭神経痛等の症状がこれに対処する治療の効もなく持続したことの各事実が確然たるものとして認定できるにとどまるといわねばならない。しかして、≪証拠省略≫によれば、右のような頸部痛等の症状はそれが外傷によるものであれ、脳脊髄膜炎によるものであれ通常は一過性のものであるが、本件のように補償問題がからんでこれが充足されない精神状態のもとにおいては、しばしば神経症的な精神的因子が大きく作用し、それにより第一次的疼痛から二次的に頸筋攣縮、頸筋緊張亢進が起り、この攣縮自体がまた一つの刺戟源となってさらに頸筋攣縮を起して悪循環に陥り、一次的疼痛の原因がすでに除去された後も長期にわたって頸部痛、頸部運動制限を後遺する事例があることを肯認することができ(ちなみに、交通事故による損害賠償事件などの場合、右のような事例に遭遇することは吾人の職務上経験するところである。)、原告の場合も右の事例に該当するとの喜多村医師の前記刑事控訴審における鑑定意見は首肯するに足るものであり、当裁判所もそのように判断するものである。現に、≪証拠省略≫によれば、脳波検査の結果原告には明らかに軽度の異常があり、一般にてんかん、てんかん素因、精神病質、性格異常の場合に示すと同様な脳波異常を呈していることが認められ、また原告が犯した一連の放火という事件(≪証拠省略≫によれば同被告事件はすでに確定していることが認められる。)の罪質、罪状の特異性をも考慮すると、原告には前記症状の長期化を助成する精神的背景が内在することを窺うことができる。

三、そこで、前記脳脊髄膜炎発生の原因について、原告は、その主張の暴行が直接の原因であり、そうでないとしても少くとも誘因である旨主張するので、この点について考察するに、≪証拠省略≫を総合すると、およそ、脳脊髄膜炎は化膿菌が脳脊髄膜に接触した場合に発病するものであって、例えば開放性脳損傷があって、脳が露出したようなときにそこから細菌が髄腔内に侵入したり、あるいは開放性でなくても外力によって頭蓋底骨折を起したようなときには頭蓋底にある副鼻腔中の細菌の巣窟が破壊されて髄腔内に感染するなど、通常は重篤な外傷によって発生するのが主たる場合であるが、右の程度に至らない単に首を押えつけられたとか頭を打ったといった程度の外力の作用によっては、それを直接の原因として右疾病が発生することはまず考えられず、むしろ否定すべきものであることを肯認することができ、してみると、原告のいう暴行はその主張自体によっても、脳脊髄膜炎発生の直接原因となりうる右のような重大な外傷を伴うものではなかったことが明白であるから、この暴行が右疾患の直接原因であるという原告の主張は理由がないというべきである。

四、しかしながら右の三に掲げた各証拠によれば、原告主張の程度の暴行が誘因となって発病に至る可能性は、確率的に非常に少ないにしても、一概に全くないとまでは断じえないことが認められるし、また前記の頸部運動制限、頸部痛等の症状が、右暴行以来引き続いているものであれば、長期にわたってこの症状が持続した主たる誘因は右暴行であると推認されるので次に、原告主張の暴行の有無の点について判断するに、≪証拠省略≫によれば、原告は、前記の刑事被告事件の第一審においても、また、原告から市毛警部補、加藤巡査の両名に対しなされた特別公務員暴行陵虐告訴事件における検察官の取り調べに際しても、さらには当審においても、右両名から暴行を加えられた点につきその主張にそう供述を繰り返していることが認められるが、右の各供述は、≪証拠省略≫と対比し、また≪証拠省略≫により認められる次の事実、すなわち、右暴行のことは原告が前記二(二)記載の杉山病院に二度目の入院をした際に杉山医師からの誘導的な問いに対し、はじめて言い出されたことであって、第一回目の入院のときには頭痛、項部強直等の原因については何ら原告から訴えられていないし肉身の兄七男政に対してすら、右二度目の入院のときまでは右暴行の点につき一言も話していないこと、ならびに≪証拠省略≫を総合して認められるところの、原告が昭和三六年一一月初めころ前記症状を訴える以前には格別身体に故障もなく、食事も普通にとっていた事実に徴すると、たやすく措信することはできず、ただ、右宮崎証人の証言によると、原告が水戸署に留置されてから一週間位経たころ、当時看守であった同人に対し、頭の方が痛い旨を一度訴えたことがあることが一応認められるものの、≪証拠省略≫を総合すると、原告が逮捕時に比較的接した同年六月二三日ころ泥酔してバイクで帰宅する途中、立小便のため停車してバイクに背を向けた際、同車が倒れかかって原告の腰の辺に当ったため転倒し、石様のものに顔面を打ちつけて左頬上部と頤部の二か所と左側頭部に一か所軽度の擦過傷を負い、その他頭痛や足腰の痛みを訴えて動けない状態だということで、家人にリヤカーで運ばれ、近くの高島頼文医師の手当を受けたことおよび逮捕された当時も右の傷あとがかさぶたになってまだ顔面に残っていたことの各事実を肯認できるし、右宮崎証人の証言によっても、同人の医者に診てもらうようにとのすすめに対し原告が大したことはないからとこれを断り、水戸署に留置中は積極的に房内の清掃に従事していた事実も認められるから、宮崎看守に対し前記のような訴えが一度あったからといって、これをもって直ちに原告主張の暴行の存在を認定するには到底足りず、ほかにこれを認めるに足りる証拠はない。かえって、≪証拠省略≫を総合すると、逮捕当日原告の居宅であった杉本勇方へ赴いたのは市毛警部補のほかは水戸署の諸沢巡査、同署河和田駐在所の右森下巡査、根本運転手の合計四名のみであって、加藤巡査は当日は非番で出勤しておらず、したがって原告の主張する当日の取り調べには全く関与していないこと、市毛警部補の取り調べも、当日は午前中に弁解録取書と第一回供述調書を作成しただけだが、その日は原告の弁解を聞いて後日その裏付けを取るつもりだったから、弁解録取のときも、第一回目の供述を求めた際にも、原告のいうままに否認調書を作成したにとどまり、格別追求的な取り調べはしなかったことの各事実が認められる。

五、以上認定したところに、前記三に掲げた各証拠により窺われる次の事実すなわち、脳脊髄膜炎が常に必ずしも前述のような外傷によってのみ発生するものとは限らず、外傷はなくとも、例えば頭蓋部の鼻腔、内耳、中耳等に化膿巣があると、それから血液やリンパ液を通じて脊髄膜に接触して発生することもあるし、あるいは空気中の化膿菌を扁桃腺あるいは気道を通じて吸い込み、これが脊髄膜に感染する可能性もあることなどを合せ考えると、結局、原告の罹患した脳脊髄膜炎ならびに長期にわたる頸部運動制限、頸部痛等の症状が市毛警部補、加藤巡査の暴行に起因するという原告主張の事実については、本件全証拠をもってしてもこれを認めるには足りないといわざるをえず、したがって原告の本訴請求は理由がないことに帰するから失当として棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 石崎政男 裁判官 佐野精孝 水口雅資)

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